百島モノローグ

 絶望から希望へ向かって進むアラフォー女・百島愛の独り言

掃除と厄落としの話 #トラウマからの解放

 今日は午前中に掃除をしました。今は天一天上の期間なので、掃除するのに良いと聞いているので、部屋のカーテンから布団、ベッドカバー、枕カバーなど一斉に洗濯し干しています。カーテンは洗濯したあと、すぐそのまま付け直して乾かしているので、ほのかに洗剤の匂いが部屋を満たしてくれます。

 

 私の部屋の床はカーペットなのですが、カーペットも掃除機を掛けてから水拭きしました。でも思ってた以上に埃や髪の毛が落ちているんですよね。そして水拭きをし終えると、なんだか綺麗になった実感も湧きますね。床につけている足の裏が快適。そんなわけで部屋の空気を入れ替えられた、そんな達成感があります。

 

こんなタイミングで書くべきではないのかもしれませんが、厄落としをしたいので書きます。

私の今までの人生で一番どん底に落ちた頃のことを。

 

 それは友達だと思ってた人に、とんでもない裏切りをされたのです。

 

相手は高校時代のクラスメイトでした。私が通っていた高校は普通の高校とは少し違って、専門学校のような授業があり、3年間クラス替えのない学校でした。そこで同じクラスだったわけですから3年間同じだったというわけです。学生時代は、同じクラスだということで、クラスの仲良くしてるグループが一緒だったので、一緒に過ごすことが多い方でした。

 

高校卒業後は、会うことは殆どなく、それでも彼女の誕生日には「おめでとう」のメールは送っていました。向こうからは年賀状のみ届いてました。この頃の私は忙しくて年賀状を作成する暇が無かったので書けなかったんですよね。まぁ、縁はなんとなく続いてた感覚です。

 

母が亡くなった時に連絡すると、お通夜に参列してくれました。でも、その時、私はもうボロボロだったので来てくれたことにすぐに反応できなくて、落ち着いた頃に感謝の連絡はしました。

 

それから数年の時が経った頃に、趣味の写真を通じて知り合った仲間たちとグループ展の写真展を開催することになり、彼女にもDMを送ってみました。彼女はそこに仕事仲間な方と一緒に来てくれて、高校卒業してから約10年振りに話せたと思います。そこから、しょっちゅう連絡を取るようになりました。

 

彼女は、この当時、年齢=彼氏いない歴だったようで、会社の人と一緒に合コンに行ったり、みんなとお酒を飲みに行ったりと、だいぶお酒が好きな子になっていました。まぁ、それは別にいいんです。当時の私は合コン、行ったことが無かったんですよね。今も無いけど、どんな感じなのかなどを聞いたりもした気がする。写真を通じてできた仲間と知り合ったのは人伝だったり、ネット上だったりしていましたから、お酒飲むよりもカフェで話し合ったりする方が多かったんです。

 

そんでもって彼女には当時、所謂メッシー君がいました。一緒にご飯に行くと、絶対に支払わせてくれないのって嘆いてました。

 

「私がトイレに行ってる間に、支払ってくれちゃうから困っちゃう。」

って。

 

それなら相手に先にトイレに行かせて、その間に半分もしくは自分が支払えばいいじゃん、と思ったんですよね。もしくは相手の会計後に半額分くらいを渡せばいいのでは?と思った。受け取ってくれないなら、何か別の形で返せばいいと思ったんです。

 

私には、男友達が何人かいました。今もいますが、一緒に食事に行っても全部奢ってもらうことはありません。半分くらいの金額を聞いて支払ったり、向こうから支払って欲しい金額を言われたら、それを支払ってます。私の誕生日近辺だからって理由で支払い任せろって言われた時は、甘えちゃうこともあるけど、その分、その相手の誕生日に同じことを返してましたので、彼女のその悩みが理解できませんでした。

 

「あぁ、それってさ、愛ちゃん、女の子として見られてないんだよ。可哀想に。」

と言われました。

 

それは、おかしいことではない気がするのだが、だって「男と女」として思ってないから友達でいられるわけだし、今も仲良くしている男友達はもはや「兄弟」感覚しかないので、「女」って思われていたら、逆に変な感じがしてしまう。今もたまに連絡を取り合う男友達にも「友人」「家族」って言われてますから。

 

あ、これマウントを取られてるんだなって感じました。そうなのです、これ以降ずっと彼女からの謎のマウント取りが始まりました。私なんかにマウントを取る意味ないと思うのに。

 

そんな時、私の写真関係の知り合い間で「師匠」とお呼びする方と彼女を会わせる機会がありました。「師匠」は3歳年上で、背も高くて、優しい男性でした。私は「師匠」や「兄ちゃん」と呼んでいました。師匠も、一人っ子だったせいか、兄ちゃんと呼ばれるのは嬉しそうでした。

 

彼女は、この師匠にロックオンした。

 

別にそれに問題はありませんでした。写真関係の知り合いなども彼女が師匠に好意を抱いていることは全員分かっていましたし、師匠も彼女がいなかったし、まぁ師匠自身もロックオンされてるって気付いていました。

 

だから、それとなく応援しているよと、彼女に伝えると

「マジでやめて!あんなジジィ大っ嫌いだし、キモ過ぎるよ!」

って、全否定した。いや、そこまで言わなくてもいいのじゃないかな?って思った。

 

しかし私の知らないところで師匠とデートの約束をして、しかも「愛ちゃんには言わないでね?」って師匠に言ってたそうです。師匠から相談を受けて唖然としました。さすがに師匠には彼女が私に全否定したことは黙っておきました。

なので、私がどうのこうの言える立場ではないので、師匠の気持ちを尊重しますと、任せることにしました。

 

そのデートする日は、師匠から日にちは教わっていたのですが・・・その日の夜、突然、彼女からメールが来ました。

「今、愛ちゃんの家の近くにいるんだけどトイレ貸して」

って。

 

師匠の車に乗って、彼女がやってきました。というか学生時代でさえ、我が家に来たことないのに、なんでトイレ貸してって??と思った。師匠も苦笑いをしていた。

 

その後、師匠とデートだったの?ってメールで聞くと

「あっちからデートしてくれって、しつこく言うから仕方なくよ!他にもデート誘われたりして忙しいのに。もはや介護よ、介護!」

と、何ウソついてんだ、この人。

 

この時に素直になっていてくれたら私は自分のことを信頼してくれてるのだなって思ったし、応援する気持ちを持てたのだけど、終始私の前では彼女は師匠を好きじゃないということばかりを繰り返した。もはや私や写真仲間たちは呆れていました。

 

そして、彼女はディズニー好きだったのですが、師匠と一緒に行って、その帰りに告白されて付き合うことにしたと、師匠の方から報告を受けました。

 

あ、そうなんですね。おめでとうございます。と、師匠には言えましたが、彼女からは

 

「愛ちゃんは気付かなかったみたいだけどさ。あたし、師匠さんと付き合ってあげることにしました。」って。

 

こんな調子の言葉に心からおめでとうって言えませんよ。呆れ果てているし、私は最初のうちに応援しているよ、と伝えたのに気付かなかったって、どの口が言うんだよ!と思いました。

 

それから彼氏持ちのあたし、すごいのよ!なマウントが増えました。

 

「彼氏から俺専用の携帯電話持たされて困っちゃうの。」

 

→確かに師匠は彼女には電話料金の負担を与えたくないって言ってたなぁ。買い与えたんだな。

 

「土日どちらかは必ず彼氏とデートするから、彼氏いない愛ちゃんとは遊べないの、ごめんね。」

 

→いや、遊べないのは別にそれはいいんだが、彼氏いる、いないは言わなくていい。

 

当時、私は好きな人がいました。

 

「愛ちゃんの好きな人は、愛ちゃんが中古品だから付き合いたくないんだよ。」

「私は新品のまま彼氏に出会えて良かった。」

 

→処女か非処女かの話をしたいのだろうけど、、なんだかね。

私は元彼がいたことは別に悪いことではないと思っているし、恋愛によって、たくさんのことを学べたって思ってました。

 

そして、彼女は本当に酷いことを他の友人に話していました。

 

「愛ちゃんはお母さんの看病をしてたって言ってたけど、本当は看病の疲れで、見〇しちゃったんだと思うよ。」と。

 

さすがに、これは許せませんでした。こういうこと、全てにふざげるな!と怒りました。しかし、彼女は

 

私には

「あたしに彼氏ができたからって僻まないでよ。その歪んだ顔、醜いよ!」と言い、

師匠には

「愛ちゃんがあたしたちのこと祝福してくれない。酷いこと言われて悲しいよ。」と言ってたのです。

 

何、この二重人格な女!と思いました。どんどん彼女の狂言のせいで自分が疲れていきました。彼女自身からの言葉に傷付き、それまで仲良くしていた仲間などからも変な目で見られるようになって、、もう疲れ切ってしまいました。

 

最終的な出来事は私の誕生日に起きました。

 

その年の誕生日、私は自分の写真の個展を開きました。たくさんの人が見に来てくれて、挨拶もいっぱい、誕生日も祝ってもらって、本当に嬉しいことばかりでした。その日の夜、仲間たちと、彼女も交えた人たちがお祝いをしてくれたのですが・・・

 

彼女は、私が来場してくれた人が持ってきてくれたプレゼントを踏んづけていたのだ。お酒が入っていて、酔い冷まし用に飲み物を買ってたようだけど、それなどもプレゼントの上に平気で置いていたので、私は爆発しました。ずっと我慢してたのの限界を超えていたものを必死に隠していたけど、もう、これは許せなかった。自分の大事なものを汚されたのを見て、笑って許せる人間がどこにいるんだよ!

 

好きな人にも、その爆発を見られてしまったけど、そんなこと、どうでもよくなってしまった。この人にどう思われるか考えるよりも先に彼女への今までの怒りが勝ってしまった。

 

もう、生きていたくない。母が生んでくれた日に、こんな思いをしなきゃいけないなんて、もういやだ。

 

後に、心療内科にも行きました。先生から彼女のほうが「パーソナリティー障害」があると言っていたけれど、話を聞くたびに私の方にもあるんじゃないか?と思った。心療内科に通いながら、生理がまた不順になってたことに気付いて、婦人科へ行く。そこで通称PCOS多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。

 

精神的に本当に病んでしまいました。彼女とも師匠とも連絡を取り合いたくないので、強制的にメアドを変えて、変更の連絡をしませんでした。

 

たまに気持ちがフラッシュバックしてしまうことがある。それでも、友達や仲間たちが変わらず接してくれたり、翌年以降の誕生日を優しい気持ちで祝ってくれて、少しずつ気持ちが戻ってきました。でも、それと同時に好きな人との距離も生まれて、精神的なバランスはよく分からないまま、恋愛も怖くなってしまった。もしも好きな人ができて、私もあの彼女みたいに誰かにマウントを取ろうと必死になってしまうのではないか?誰かに酷い言葉を投げつけても自分が悪いと思わない、そんな無神経になってしまうのではないか?と、本当に怖かったのです。

 

そんなある時、撮った写真を載せてたSNSに知らない人からDMが届きました。

 

「あなたの撮る写真のファンです。友達になってください。」と。

 

最初はおそるおそるでしたが、話をしてみると、その人も写真に興味がある、そして飲食店を経営していて、新しいお店のメニューなどの写真を撮ってくれる人を探していて

 

「あなたにお願いできたらいいなって思ってるんです。」と、申し出がありました。

「仕事のパートナーになってもらいたいな。人生のパートナーにも。」と言われて嬉しかったけど、あくまでも仕事のことが終わらせてから考えたいと返事をしていましたが、

 

ある時から急に連絡が取れなくなりました。LINEもブロックされてる?ようでした。

最初の連絡があったSNSの方から連絡を入れると

 

「〇〇(あの彼女)さんって知っている?その人を傷付けた女に復讐してやれって頼まれたけどつまらないから、俺やめまーす。じゃね。」

 

と、返事があり、その人のSNSは削除されました。

 

もう本当に嫌だ、何なんだよぉ!と、自暴自棄になりました。私は、まだ彼女の手のひらの上で転がされていたことに深く傷付きました。

 

それ以降、知り合った人に最初に

〇〇(あの彼女)さん、△△(師匠の名字)さんって人、知り合いにいますか?って聞くようになってしまった。

 

モモと知り合った時も、それを聞いた。他の人は「知り合いにいないよ」で終わってしまった返答が

 

「俺の知り合いの中には、そんな人いないよ。君の過去の知り合いだった人なのかな?何かあったの?良かったら聞くよ。」

 

と、まさかの返答で私はビックリした。話、長くなるよ?いいの?と何度も念を押して、モモは笑いながら「いいよ。聞かせて。」と言ってくれたので、話をした。

 

話を終えると、モモは飲み物を私に渡してくれた。

 

「辛かったね。苦しかったね。もう、そんな思いしなくていいんだよ。」

 

と、私の分まで泣きそうな顔をしていた。

私が自分の誕生日にトラウマを持っているのでは?と感じたらしく、付き合うことになって初めての私の誕生日は、仕事終わりに車をかっ飛ばして会いに来てくれました。

 

ちょうど、その日は満月で、モモの優しさと同じくらいに月が満たされていました。

 

それ以降は近い日に会いに来て、コロナ禍の時は必ず電話口で「おめでとう」と言ってくれた。

 

だから、もう自分の誕生日に爆発したことを嫌だと思うくらいに思い出すことは無くなりました。

 

今まで、あの彼女以外にも仲違いをして、連絡を取らなくなったり、取れなくなったりした友人はいますが、今は許せる気持ちは持てています。あの頃は若かったんだ、とか、もう少し話し合いをすればよかったんだなと思う部分はあるけれど、あの彼女のことは、きっと何年経っても許すことができません。いつか許せる人間にならなきゃいけないんだろうけど、今は無理です。