百島モノローグ

 絶望から希望へ向かって進むアラフォー女・百島愛の独り言

愛想尽きる父

 父は毎朝、新聞を読んでいるはずなのですが、最近のニュースに疎すぎる。最近、お米がなかなかスーパーに売っていない、売っていても新米だから少し割り高になっていることに全くもって理解が追い付いていない。

 

 我が家は今、玄米を買って、なんとかなっていますが、父からしたら玄米は「臭いメシ」なようで、文句をタラタラ。文句を言うなら食べなくていいよって言うと、文句を言いながら食べるという訳分からないことばかり。

 

 そのついでに父の部屋の片付けの途中なままの続きをいつするか?って話をしたのに一向に返事をしないので、なんで返事をしないのか?と聞くと、

「片付けるなんて無意味だ。どこに何があるか把握しているのに、これ以上部屋を汚くしたくない!」と言い出した。

 

片付けないとなると、そっちの方が埃まみれで部屋が汚いんだけど、と伝えても、全く理解していない。なので、片付けてない場所にある何冊かの写真アルバムについて聞いてみた。どこに何があるか把握していると言ったので、そのアルバムが何冊あって、何のアルバムか分かっているのなら詳しく言ってください、と。

 

「今までの写真がある。」

いつから、いつまで?そして何冊?

「そこにたくさんあるだろ」

だからそれが何冊あるか聞いてるの。今までの何の写真があるの?

「うっさいな。」

うっさいじゃなくて答えてください。

 

実際は、兄が生まれてから6歳までの写真が2冊、私が生まれてから4歳までの写真が1冊、父のボーイスカウト関係が1冊の合計4冊なのだ。これは、先に私が確認していたので、父は答えられると思っていた。しかし答えない。

 

本当は分かっていないんでしょ?分かっていないなら正直に言ってください。分からないことに対して怒ってたりしてるんじゃない。そこに置いたままだと中の写真が埃かぶったままのケースの中で良くないのだと思うから救いたいだけなんです。

 

そう言っても父は「うっせー!」とブチ切れて

「頭痛くなってきた。やめてくれ。」

と言う。ブチ切れたのは、そっちだし、切れる必要が全くないのだ。その写真のアルバムの上に本やら何やら積み重なっているから地震があった時にそこで雪崩が起きたら、テレビが壊れるし、下手したら窓が割れるなどの被害もあり得るから片付けたいと私は言ってるだけなんだけど。

 

「家にもう置くスペースがないんだ!この家は俺のだ!」

 

いや、世帯主は父なの分かってるし、誰が建て直したほうがいいなんて言ったよ。それに置くスペースができるように片付けるから何を言ってるのだ?

 

それでもまたしても父はブチ切れし続ける。片付けたくないなら、そう言えばいいよと言ってもブチ切れし続ける。自分で勝手に貧血だって言ってベッドの上で寝始めた。

 

話したくないならそう言えばいいし、片付けたくないならそう言えばいいの。何でそれが言えないの?言わなくても分かれっていうのは困る。

 

「そんなこと言ってねー!」

 

うん、言ってないよね。じゃあ何を言いたいわけ?

 

「・・・。」

(一分くらい沈黙)

 

だから考えてるなら「今、考えてるから待ってろ」くらい言ってっていう話なの。分かってる?

 

「・・・。」

 

どうしたの?急に聞こえなくなった?

 

「聞こえてるって言ってるだろーが」

 

聞こえてるって今日、初めて言ったよ?

 

 

と、何度もこの繰り返しでした。結局片付けたくないわけね?と言うと、「うん」と言った。

 

これから南海トラフ地震があるかもしれない。もっと違う災害が起きるかもしれない、父が急に倒れて動けなくなってしまうかもしれない。そんな時に片付けてない場所にあるものが何があるか分からないとか、これが必要だって言われても助けられないんだよ?いいの?

 

「俺が動けなくなったら死んだと思え」

 

あっそ。介護も要らないわけですね。

 

「そんなのされるくらいなら死ぬ」

 

今、そう言葉だけで言われても困るので、兄もいる時に一筆書いてもらいますよ?いいんですね? ボーイスカウトの方たちにも迷惑かかるの分かってます?

 

「だから、それでいいって言ってるんだろーが!」

 

と、またブチ切れた。だから切れる意味がないのに勝手に切れる。なんとかしてくれ、この瞬間湯沸かし器。

 

それでいいって言うのも今日初めて言ったよ?父がどんなに頭の中で思っていても言ってくれないと伝わらないんですけど。

 

もう、この後は一切返事をしなくなったので、片付けられてない場所についてはもう何も言わない。地震で崩れても何も手助けしない、父が倒れても知らない、以上を念書にしでもしておかなきゃいけないと思います。

 

兄にも一応話したのですが、「そう言って自分が倒れたら手を貸せって言ってくるような気がするよな」って兄も私と同じように思っていました。

 

15年ほど前に父がギックリ腰やった時、私は父を担いで階段の上り下りをしました。本人はすっかり忘れているようです。こっちは、相当しんどかったのに「ありがとう」の「あ」さえ無かった。

 

本当にもういよいよ、この父にも愛想がつきました。