百島モノローグ

 絶望から希望へ向かって進むアラフォー女・百島愛の独り言

希望への一歩を踏み出す決意 #絶望から希望へ

 「家族」って何なのでしょう。

 

今の我が家の場合、ただの同居人、「家族」という皮を被った他人と言ったほうが正しいかもしれません。

 

私から何度もSOSを出しています。生活費がない、お金がない、病院に行けない、働けない。

いずれも何とかするために力を貸してほしいと訴えているのに何もしてくれないのだ。お金だけじゃないんです。心さえもないんです。

 

家を出る。

 

そう告げると、

父は「そっか」だけでした。

兄は「何で、そんなことになっているんだ?」ということで兄に今の我が家の懐事情を伝えてると驚愕していました。

 

父がなんとかなるって言ってたようで、全て父に丸投げ状態だったのです。

 

この状況からモモよりアドバイスを受けて、父の年金の月割計算と、不定期でも兄の収入を月割計算しようと思っても、二人とも情報を開示してくれません。

 

これじゃあ、何もできないのだ。

 

家族だから助け合わなきゃいけないはずでしょ?

何故秘密にするのだろう。言ってくれないと分からないよ。

 

そして家事をしている私は一日に1~2時間、家事をしているわけで東京都の最低時給は1,113円。

一日に食事を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたりで1.5時間やっていると計算したら月に約50,000円ほどの働きをしているはずだ。そこから光熱費を折半していると考えて、せいぜい約30,000円ほど月にもらわないと、と思っている。

 

現に、今まで渡されていたお小遣いも、そのくらいだった。

その収入が今年に入ってから0円なのだから、私が怒っていることに無関心でいるのが分からない。

 

お金が渡せられないのなら家事を手伝ってくれてもいいじゃないのかと思う。

 

3月に働きに出た時だって一切何も手助けをしてくれなかった。ご飯の支度、お米を研いで計量した水を入れて、電源を入れたらご飯は炊けるのに、それさえもしてくれない。

私が生まれる、ずっと前は薪を割って、火を点け、火加減を調整しながら炊く、そんな時代もあったのは知っているけれど、今は違うのだ。

 

「家事は女がするものだ」

と、父が言う。

 

そう、母が生きている時も母の手伝いもしない父だった。だから母の看病も、車で病院までの送り迎えは仕事が休みの時だけだった。入院している間の洗う物だって、母から受け取りはするものの洗濯機に入れることすらしなかった。

 

私の負担ばかりが増えて、母に何度も「ごめんね」と言われた。母が悪いわけじゃないのに、悲しくて悔しくて仕方なかった。

 

だから母が亡くなった時、私の心の大きな支えは無くなった。本当に何もなくなってしまってた。でも友人たちがいてくれて支えてくれて、心を取り戻せた。

 

しかし今は、もっと心の中が空っぽの気分なのです。

母のところに行ってしまいたい・・・、実は何度も思ってしまっていた。

だけど、心が踏みとどまる。そんなこと、できないって。

大切な人たちの笑顔が思い浮かぶから。その人たちの悲しい顔は見たくないし、させたくない。

 

無いものが多い。

お金がない。余裕がない。働き口がない。髪を切りに行けない。洋服も買えない・・・

数えたらキリがない。

 

でも、あるものを数えていたい。

 

家族は他人だけど、他人だけど家族のようなモモがいる。

話を聞いてくれる友達がいる。

どんな人にも平等な空が私の上にはある。

しっかり立って、未来へ歩き出せる足がある。

そして、この場所。吐き出せる場所がある。

 

今は傍からみたら不幸なのかもしれないけど

きっとこれは私にとっての良いことに向かう途中の道なのだ。

そして大きなおおきな幸せになるための渦の中にいるのだ。

 

だから希望を持ち続けていたい。