百島モノローグ

 絶望から希望へ向かって進むアラフォー女・百島愛の独り言

家族関係の複雑さ #父と母のこと

 私の父と、そして亡くなった母のことを書いておきます。

 

まず、私の父は関西方面にルーツのある祖父母のもとで、東京23区内の町で4男2女の末っ子として生まれました。父の生家は、今私たちが住んでいる区と隣接する区にあり、父の長兄の息子さん(つまり私の従兄弟)一家が暮らしています。

 

父と長兄は18歳の年の差があり、父の上の兄弟たちは皆、戦前、戦中に生まれています。父だけ戦後生まれ。そのせいか、兄や姉らから「お前は戦争時の大変さを知らん」と言われていたようで、だから今は私たちに対して「俺は戦後の動乱期を生きたんだ」って威張っているんだと思います。

 

そして、私の母は東海地方にルーツのある祖父母のもとで、その東海地区で末娘として生まれましたが、すぐに家族で東京に移り住み、母が10歳の時に今、私たちが住んでいる土地に祖父が居を構えて暮らし始めました。そう、私たちの住む家は、母の実家なのです。

 

末っ子同士の父と母はお見合い結婚をしました。

 

母は、自分の両親の世話をすることを条件にお見合いをしたようです。しかし、父が婿入りをしたわけではなく、母の旧姓一家と、父の姓一家が同居するイメージです。つまり、サザエさんとマスオさん、のような感じですね。

 

二人が結婚した時に既に、父方の祖母は亡くなっていました。

そして、兄が生まれて、二年後に私が生まれて、祖母の体調があまり良くない状況になり、母は看病をしながら、私が生まれた二年後に弟も生まれました。三人の子育てをしながら、祖父の協力もあったようですが祖母の看病は大変だったようです。

 

弟が一歳を迎える前に母の看病に感謝しながら祖母は亡くなりました。

 

その時に、祖父が母への感謝を含めて、家の土地、建物の権利を母と父に半分ずつ譲渡したようです。土地は母、建物は父のようにしたので、父は家を建て替えることにしたのは、それから何年か経ってからでした。

 

私が小学校の高学年の時にそんな祖父が亡くなりました。それから、父のお酒を飲む量なども増えました。今まで、波平さんな祖父がいる手前、遠慮をしていたマスオさん、と言った感じでしょうか。母への態度も亭主関白、男尊女卑のような発言も増えました。母が耐えている姿を何度も見ました。

 

そんな中で、前に少し書きましたが、私が中学生の頃に、父が失業して、しばらく収入が母のパート代のみになった時がありました。貯金もあったようですが、父は自分のお酒を減らすことなく、だいぶ貯金を食いつぶしたようで、だから私は高校の受験は滑り止めを受けることもできず、なりたかった保育士への専門学校への進学も断念せざるを得なかったのです。

 

私が19歳の時、母が体調を崩し、中耳炎が悪化していたため手術が必要になって、数週間の入院が必要になりました。その時でさえ、私のみが母の病院へ行って着替えなどを持って行ってました。父は仕事をしているからと言って、何も手伝ってくれなかったです。その時は、一応、掃除は弟、洗濯は私。料理は兄と役割分担をしていましたが、父は何もしなかった。まぁ、兄や弟もギリギリやってた、そんな感じでしたけどね。

 

それから数年後に母のガンが発覚して、手術してリハビリしながら抗ガン剤治療のために約半年の入院は、母の上の姉が手伝ってくれました。でも母の上の姉は父と反りが合わない人で、母の居ないところで二人は何度もバトってました。

 

母が亡くなった時も、この上の姉と父のバトルは決着がつきませんでした。上の姉は、満足な治療をさせなかったからこうなっただの、父に自分たちの実家の家の土地を父に相続させたくなかったようで、下の姉と共に色んなことをしてきました。しかし、お金でなんとか解決させたようで、それから母の姉たちとは疎遠になりました。伯母二人は、兄や弟を可愛がっていて、今も二人には連絡があるようです。私には一切ありません。

 

 人間関係とお金の問題は、切っても切れないし、ややこしくなったり、より複雑になりますね。

 

ちなみに父方の伯父伯母たちも高齢ですので、6人兄弟も今は父を含めて3人のみになっています。我が家から一番近くには隣町に住む次姉の伯母がいます。この伯母から、母が亡くなって以降、何度もお見合いを勧められてきました。年があまり離れていない人なら・・・と条件を出したのに、一番年が近くて15歳差とかだったりしました。一度、その15歳差の方と仕方なくお見合いに参加させられましたが、自分には話が合わないと無理だと思いました。